すごく都会的なもの

 前を走る列車の非常停止ボタンが押されたとかいうことで通学電車が一時停車した。よくあることだ。毎日あるってわけでもないが、盆と暮れにしかないってものでもない。

 目の前の大きな窓の外には住宅街が広がっていた。冬の真っ青な空を背景にして、アンドレアス・グルスキーの写真のように奇妙に平板だった。冷たい空気と鈍い日差しがピンのように家々を地面に留めていた。飛んでいるカラスと電車の機械音以外には、何も動かず何の音もしなかった。誰も話さなかった。皆それぞれスマホか割り当てられた空中の一点をじっと見つめていた。すごく都会的だ。全ての物語が他の何とも交わることなく平行に進んでいく。昔なにかの本で見た19世紀に空想されていた高層ビルのことを思い出した。一階には広い庭付きの一軒家があり、人工の太陽と空があり、一家族が住んでいて犬を飼っている。二階には学校があり、三階には牧場があり、四階にはまた別の家族が住むといった具合だ。それぞれのフロアはそれぞれの物語と論理で動いていく。こんな非合理な配置にするわけがないから本にあったものとは細部は違うだろうが、要するにクソでかいビル。あれは何の本だったっけ……

 カラスがもう一羽ゆっくりと横切った。 家々の様子は僕に太古の昔この地でぼこぼこ沸き立っていたマグマを思わせた。もちろん実際に見たことなんてないしマグマのことなんて何も知らないが、きっと水が沸騰する様子よりもゆっくりと沸き立つだろうという気がした。一つの泡がぽっかりと膨らみ、徐々に冷えて黒くなっていって周りに沸き立ってきた別の泡たちに飲み込まれて消える。それがしばらく続くと植物たちがわさわさ生えてきては朽ち、次に動物たちがわらわら現れては死に、人間が現れると家々がぼこぼこ建っては壊される。全ての泡は物理法則に従い浮かんでは消えていくだけで他の泡と会話を交わすなんてことはなかった。全てが同じような一生を繰り返すのでそこに奥行きなんてものはなかった。すごく都会的だ。僕はそうした泡たちが全部冷えて黒くなって一つの球になり縮んでいく様を想像した。想像したところで何も生まなかったが、安全の確認が取れたから発車するという旨の放送が流れた。

 電車が動くとつり革につかまる筋肉痛の腕が少し痛んだ。そうだ、クソでかビルが載っている本は『錯乱のニューヨーク』だったかな。乗客の誰かがくしゃみをした。視点が変わると街は奥行きを取り戻した。