宇宙人(と意識の人間原理みたいなもの)

「知的生命体」という言い回しに対して長らく抱いていた違和感をやっと言語化できた気がするのでメモ代わりに。

 

 

 

 意識が発露する仕組みってどうやって説明されるべきものなんだろうとずっと疑問に思っている。「よって意識は存在する。Q.E.D.」の前に書かれるべき文はどんなものなんだろう。意識が意識の存在証明をするのはゲーデルの第二不完全性定理から無理だ、と言うのもいかにもエセ論理だし、かといっていつか僕が意識です、こんにちはーみたいに脳の中から小人が出てきたって科学者たちはそいつをとっつかまえて解剖を始めるだろうから根本的な解決にはならない。よくよく自身の思考過程を観察してみるとそれが沸き上がってくる先はどうしようもないブラックボックスだから自由意志に関しては存在するかさえ怪しくはあるんだけど、意識に関しては存在するという確固たる実感がある。

 だとしたらやっぱり粒子の運動に還元して考えるしかないんだろうか。この先の説明ができたらノーベル賞だけど、そんな大層なものが思いついたわけじゃない。今の段階では(少なくとも自分の窺管では)こういう解釈もできるかもね、というアドホックな仮説です。

 

 意識が粒子の運動に還元されるしかないとしたら、十分複雑な構造を持つコンピュータは意識を持つことになるんだろうか。多分持たない、という考え方もある。なぜなら人間の脳とコンピュータとでは仕組みが全然違うから。本当にそうだろうか?逆に全然違う意識を持っているという考え方もあるんじゃないかと思った。多分あまりに違いすぎて、その中身を説明するような言葉が人間の言語には存在しえないような。一つのシステムのある所には一つの意識がある。空気の流れにも、地球にも、あなたの部分集合にも、意識は存在している。ちょっと語弊があるな。粒子たちの運動との関係において人間の意識と並列に語られるべき「何か」が存在するといったほうがいいかもしれない。でもいちいち「何か」というのはめんどくさいので、ここでは(広義の)意識と呼ぶことにする。それは人間の思考とは根本的に  本当に根本的に異なっている。「存在する」という言葉の輪郭さえ不適当なのだと思う。そしてあなたはそんな多種多様な意識のうちにたまたま生まれた一つにすぎない。そんな考え方もできないだろうか。人間のとその他一般の意識とはまさに想像を絶するほど異なっているので、似通った意識たち同士だけが互いを認識している。これを「意識の人間原理」とでも呼ぼう。そんな突飛な考えはオッカムのカミソリに反しまくっているかもしれないけれど、もし脳を解剖してもっと変な、スピリチュアルなものが見つからないのならその粒子のシステムにだけ意識が宿っているというのも不自然じゃないか。

 最高にアドホックな感じになってきたが、元はといえば「知的生命体」という言葉から出発したものだ。「宇宙の中で唯一人間だけが知的だ」みたいなうぬぼれに強烈に違和感を感じて、宇宙人ってのは人間の想像を絶するほどバラエティに富んだものであるはずだよ、と言いたかった。なんとなく伝わっていればいいんだけど。「人間がかろうじてそれが知的生命体であると認識できるもの」くらいの姿勢が正しいんじゃないかなあ。まあ言葉が人間の意識固有ものである以上あんまり意味に違いは生じないんだけれど。